はじめまして!なまらポジティブ男です。
今までは成功者でも有名人でもない僕の人生を語ることに意味や価値なんてないと思っていました。
でもそんなことはなくて、たった1人でも心が動き、その後の人生に何らかのプラスの影響を与えれる可能性があるのだとしたら、自分の時間を投じて書く意味はあるんだと気づきこの記事を書くに至りました。
・やりたくない仕事をして毎日を過ごしている人
・本当はやりたいことがあるのに一歩踏み出せない人
・周りの人に合わせて本当の自分を圧し殺して生きている人
・借金があって先の見えない生活ををしている人
・もっと人生を楽しみたいと思っている人
そんな方が読んでいただけるときっとこんな人間でも幸せに生きれるんだと心が軽くなったり、一歩踏み出すきっかけや毎日を幸せに生きるヒントが得られると思います。というか、そうなってもらえれば嬉しいです。
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目次
「本音」を言えなくなった幼少期
北海道の田舎町に生まれます。生まれてすぐに助産師さんに
「この子は絶対いい男になるわ~」
と言っていただいたらしく、その言葉通り?顔だけはいい男になっていきます。笑
父親の仕事の影響で2~5歳までをドイツのフランクフルトで過ごします。(その時の記憶が全くないことが悔やまれる。)
ただ唯一覚えてるのが僕と友だちと友だちの母とで買い物に行き、その友だちの家の前まで着いた時に
「えー○○君家もう飽きたー。」
とわがままを言って友だちの母に
「だったらもう来なくていい!」
と怒られたことです。
それ以来心で思ってても言葉にしないようにしたり、相手の気持ちを考えて発言するようになりました。
つまり、僕はこの時から本音を言えなくなりました。
「そんなことで?」と思われるかもしれませんが、その時の僕からするとその友だちの母からの言葉がそれくらいショックでした。
そんな一言がその後の性格に大きな影響を与えるんだと今になってわかりました。
自分の「意思」がなかった学生時代

帰国して田舎の幼稚園からそのまま小学校に入りました。
小学校に入るとすぐに野球を始めるんですが、きっかけは1番仲良くしていた近所の友だちが始めると言ったから。
上手くなりたいという思いなんて全くなく楽しければよかったので、練習の途中で監督が来るとちゃんとやろうみたいな雰囲気が出て練習が厳しくなるのでそれが嫌で嫌でしょうがなかったです。
今思うと、とにかくこだわりというものがなく、楽しければそれでいい!みたいな今の自分にも通ずるスタンスを持っていたように思います。
遊びなんかも自分で提案するのではなく、とにかく周りに合わせる子でした。
ただ、友達に恵まれたことがとても大きく、よく笑いのびのび育ちました。
小5で父が単身赴任になったのをきっかけに反抗期が来て毎日担任に呼び出される日々でしたが、卒業式でその担任と最後握手をして号泣したのを覚えています。
中学でも教室で割と怒られることが多く、野球の練習中も手を抜いてヤキが入ったりしてましたが、とにかく楽しい思い出しか残っていません。
意思のなさは高校選びでも表れ、安いからという理由で公立へ。
野球もやってもやらなくてもどっちでもいい。
ボランティア部入ろうかな?と迷ったくらいでした。
結局野球部に入ったんですが、今思うと野球をずっとやらせてもらえたことは両親に感謝しかありません。
この時から(なんの影響かはわからないけど)なんとなく「社長になりたい!」と思っていたのですが、まだはっきりとやりたいことも決まっていなかったので大学に行かせてもらうことになりました。
「適当さ」が露呈した大学時代

大学生活にも慣れ、初めての一人暮らしをしながら遊び、恋愛、バイトに明け暮れていました。
というか遊びまくっていました。
バイト選びもこだわりはなかったので友だちに誘われたところや知り合いのところなど、なんとなーくで選んでました。
ただ、シフトが入ってる日に友だちの誘いがあるとどうしてもそっちに行きたくなって仮病を使ったりしてました。
遅刻することもありましたし、「やめます」の一言が言えなかったり、やめるなら1ヶ月前に言えという暗黙の了解を守れずブッチしたことも何度かありました。
とにかく色んな友達が増えて遊ぶことが最高に楽しかったので、それ以外のことは大抵どうでもよく思ってました。

この時期はあまりにもテキトーに生きていたなと思いますし、そんな自分の性格にも気づき始めた時期でした。
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一番お世話になった先輩の「自殺」
そんなテキトーな生活をしている中で、いつも通り昼間家でゴロゴロしてたら珍しく母親からの電話。
「○○君が亡くなったって。」
小、中、高と唯一学校も部活も一緒だった1つ上の先輩で、たった2週間前に酔っぱらって電話をくれたばかりだったので、その時は現実だと受け入れられなかったことを鮮明に覚えています。
ただ、葬式で棺桶を覗いたときにそれが実感に変わり一気に悲しさが襲ってきました。
そしてなによりも棺桶を覗きこみながら泣いていた先輩のお母さんの顔が今でもずっと忘れられません。
本当に人生においてこれ以上辛いことはないというくらい辛いこと。
そんな人の姿を目の前に、もう悔しくて悲しくてしょうがない気持ちになりました。
僕は号泣しながら、小学校で一番お世話になった先生が言っていた
「親より先に死ぬことが一番の親不孝だ。」
という言葉を思い出しました。
先輩のお母さんの姿とその言葉が頭の中を埋め尽くしたときに
「なんで自分から命落としたんだよバカなのかよ。」
と怒りの感情でいっぱいになってしまいました。
そして、人の命というのはあまりにもあっけなく終わってしまうということを身に染みて感じました。
震災のボランティアでの人生を変えた「出会い」
先輩の死から半年が過ぎたころ、あの東日本大震災が起こりました。
テレビ越しにただただ見てるだけの何もできない自分。自然の猛威の怖さを思い知りました。
そこから数ヵ月が過ぎた頃、親友から
「被災地にボランティア行かない?」
と誘われたことをきっかけに一緒にパソコンで調べて申し込み、結局親友2人と3人で特に被害の大きかった宮城県の石巻に行くことになりました。
フェリーを乗って10数時間。
やっと仙台について時間が余ったのでパチンコ行きました。最低ですね。笑
そこからバスを使ってボランティアスタッフが住んでいる一軒家に着きました。
スタッフの皆さんは北海道から来た3人の若者のことをすごく歓迎してくださり、とても可愛がってくれました。

とにかく今までに関わったことのない方たちで、それぞれが想いを持ってこの土地に住み込み、困っている人たちのために頭を悩ませながらも行動している姿を目の当たりにします。
だれもが贅沢などできない状況の中でもひとつの目標に向かって助け合い、とても深い信頼関係ができているのを感じました。
そして何より、その行動や深い繋がりが僕にはとても眩しく見えました。
そして、大したこともできない僕たちを色んなところに連れてってくれたり、色んな人に会わせてくれました。

ひっくり返ってる家や山積みの車、更地になってしまった土地を見て、ただただ無力さと空しさを感じながらも、
「ちょっと前まではこの小学校で普通に子どもたちか勉強してたんだよね?このひっくり返ってる家に普通に家族が住んで暮らしてたんだよね?」
と、これが現実に起きた出来事だとは信じられない気持ちになりました。
僕らができる緊急性の高いことはもうなかったのかもしれませんが、ボランティアと呼べるほどの作業は本当にしていません。
スタッフの皆さんはいつだって僕らに学びを与えてくれたり楽しませてくれるために時間を使ってくれました。
毎晩夜中まで色んな話を聞かせてくれました。

帰りのときは号泣するくらい、本当にお世話になった方々への感謝の気持ちでいっぱいになっていました。
この経験が自分の人生の中で何よりも大きく変化をもたらしてくれたと思います。
価値観や選択肢が広がり、とにかく人との深いつながりや愛を重んじる方々に出会い、時間を共有させてもらい、こんなに可愛がってくれたことは一生の財産になりました。
世界一周の経験から得た「感謝」と「夢」

石巻に行き、今までにない価値観や選択肢を知った僕はそこで出会った方たちの影響で前から憧れていた世界一周の旅に出ることを決意。
まずはお金を貯めるために知り合いの建築会社の社長さんの所にお世話になって土木作業や除雪の仕事をやらせてもらいました。
ただそんな目標があるにもかかわらず夜のお店に行って散在していたことは、楽しい思い出ではありますが本当に意志が弱くバカだったとしか思えません。
こんな意志の弱さとバカさ加減が世界一周出発前日の東京でも露呈します。
初の歌舞伎町でキャッチ促され風俗に行った挙げ句、ちゃんとしたサービスを受けることもなく10万円近くぼったくられ、財布の中身が空っぽになりました。
この時はなんて終わってる国なんだと思いました笑
東京怖って笑
帰りの夜道で友達が財布の中の有り金全てを出して一緒に飲んだ缶コーヒーの味は忘れません。
さらに最初にインドに行こうと思ってたのがビザの関係やらなんやらで急遽シンガポールに行き先を変更するという適当ぶり。笑
そんなこんなですが無事出発には至り、バックパックひとつでの世界一周の旅が始まりました。
最初のシンガポールから始まって、アジアはマレーシア、タイ、バングラディッシュを回りました。
シンガポールは空港ついて一発目のタクシーでぼったくられます。笑
最初の国だったせいかやはり印象がとても強く残っていて、ただマーライオンの近くにいるだけでも世界中の人が集まっていることに平和な時代だと感動してました。
世界三大がっかり遺産!?とも言われていますが、視点を変えれば全然そんなことはないように思います。

次の国マレーシアではバスの中でiphoneを盗まれました(絶対盗んだのガイド的なやつ)。
まあでもそれが逆によかったのかもしれません。
スマホいじってる時間がもったいないほど刺激に満ちた生活でしたので。
その後タイのバングラディッシュでは貧しさというものを体感しました。

んー、現実を受け入れたくないという気持ちと自分の無力感に同時に襲わたような感覚です。
自分はどれだけ恵まれて育ってきたのか、どれだけ贅沢な暮らしをしていたのかが痛いほどわかりました。
貧しい国はほんとにカルチャーショックが大きく、価値観を揺さぶられるので、どうせ海外に行くならバングラディッシュくらい日本とのギャップがある国に行くことを僕はおすすめします。
そして一番行きたかったインドへは手続きのミスなどで泣く泣く諦め、ドバイ経由のエジプトへ。
そこからトルコに行き、ヨーロッパを回り、最後のスペインでお金が尽きて終わりという流れでした。
旅の時間が言葉では表せないくらい充実したものだったこと、自分の五感で多様な価値観を体感したこと、色んな世界を見たおかげでものすごく俯瞰して自分の人生を見ることができ向き合えたことは、多くの変化を自分にもたらしてくれたと思っています。

この旅を通して自分が一番得た物は?と聞かれたら即答で「感謝」と答えます。
この旅に至るまでに育ててくれた両親にはもちろんですし、空港まで見送りに来てくれた仲間たちにもそうですし、旅の途中で道を尋ねると笑顔で教えてくれた何百人もの外国人にもそうです。
そしてそれ以上に今の自分がこんな素晴らしい旅をすることが出来ているのは今まで生きてきたすべての人のおかげであり、今生きているすべての人のおかげだということを知りました。
もう生きているだけでありがたいということ、感謝するべきことは無限にあるということを学ばせてもらいました。
蚊とゴキブリだらけの宿に泊まって最悪な思いをしたことも、風俗に行っておっぱいを触ったら男だとわかったことも、お金がなくなって凍えながら野宿したことも、日本語話せる外人に連れられて行った飲み屋で20万の請求をされ無理やり車に乗せられたことも、たまたま会った日本人にたくさん御馳走してもらったことも、気さくなオカマちゃんとめっちゃ仲良くなって酒を飲んだことも、何もない砂漠で見たこともないほどの満点の星空の下で物思いにふけったことも、ここにすべては書ききれないですが、とにかく何もかもが最高の経験でした。
それともうひとつ、震災やこの旅を通して本当に困ってる人や自分ではどうしようもできない環境にいる人を目の当たりにしてきたことで、
「どうせ仕事をするならそんな人のためになる仕事をしたい!」
という思いが生まれました。
そのときに高校生の頃の社長になりたいという漠然としていた夢を真面目に考えて形にしたいと初めて本気で考え出しました。
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全力を出しきれなかった初めての「起業」

休学をしたせいで知り合いがひとりもいないという夢のキャンパスライフとは程遠い孤独な大学生活を送りながらも、とにかく自分で仕事をはじめたいという思いが強くなって、色々頭を悩ませながらお金がかからないことで何か始めようということで友人と小さなネイルサロンを開くことになりました。
これが僕にとってはこれが初めての商売。
社長になりたいという夢の第一歩を踏み出しました。
多くの友人がSNSなどを通して協力してくれたり、リクルートの方のサポートのおかげで最初は順調なスタートを切ることができました。

ただ、商売はそんなに甘いもんじゃありません。
問題点を見つけ改善を繰り返していたんですが、たった一人のネイリストの
「もうやめるから。」
の一言で、半年ほどで店を畳むことに。
一番大事な従業員の心のケアをしっかりとできていなかったことが失敗の大きな要因だったように思います。
この「人」の問題は一番難しい問題だと今でも思っています。
別の働いてくれる人を必死に探して事業を続けることはできたかもしれません。
けど、そこまでしようという覚悟も気持ちも沸いてきませんでした。
すべてが中途半端だったことも反省する点でした。
一緒に働いてくれたふたりには感謝しかありませんが、もっと自分が努力していればと申し訳なく思う気持ちもありました。
そんな自分は借金を負うこともなく終えられ、チャレンジできたことに満足してしまっていました。
人のために仕事がしたいと思いながらも、ほんとに責任感のかけらもない、事業なんてやる資格のない人間だと、今振り替えって改めて考えるとそう思います。
過度の「ストレス」により体が壊れる
ただ、無事に孤独な大学生活はなんとか卒業という形で終えることができました。
就職する気もなかったので初めてバイトを掛け持ちして9時から23時まで働くという生活を続けていました。
すると今まで経験したことのない謎の腹痛に襲われました。
病院に行くとストレスによる「機能性胃腸症」という病気だということがわかります。
女性の看護師さんの前で鼻から管を通され、よだれを垂れ流しにしたあの羞恥な経験から、ストレスのかかる生き方は絶対にやめようと心に誓いました。笑
ストレスなんて全く感じてるつもりがなかったんですが、身体が教えてくれた今回のことで、何より自分のメンタルは弱すぎるということを学び、本で読んでいた憧れの経営者とは程遠い人間なんだと悟りました。
2度目の起業と失敗による初めての「挫折」
そんな中、僕に再び起業の機会が訪れます。友人の母親から
「大阪の面白い社長さんがいるから一回会ってみない?」
とのお話を頂き、会わせていただくことになりました。
その方は大阪で事業をやられている方で、説明された事業内容に
「やりたかったことはこれだ!」
と心がつき動かされました。
簡単に説明するとビジネスでの社会問題の解決。ブランディングを通して寄付の文化を広めたり、カンボジアの孤児院と日本の大手アパレルブランドを提携させたりと、とにかくやっていることが僕にとっては新鮮であり素晴らしいものに見えました。
その後大阪に誘われて何度か足を運び、実際に企業へのコンサルに同行させてもらったり、オフィスで過ごさせてもらったりと、とにかく貴重で刺激的な学びをたくさんさせてもらいました。

コンサルに同行させてもらった時なんかは、とにかく社長の格好はラフでそれがまたかっこよかった。
かなり年配の社長さんに対してズバズバと熱い言葉を投げかけている姿には本当に鳥肌が立ちました。
社長の言葉の力や知識、突拍子もないアイデアのすごさはもちろんなんですが、何より信念を持って仕事をされているところが1番尊敬するところでした。
仕事の関係で北海道へもよく足を運んでいた社長と飲みに行かせてももらった時に、
「僕も会社を立ちあげます!」
と宣言をし、社長同じブランディングという事業内容で会社を立ち上げました。

ちょうど僕と同じように就職をしていない社会不適合者の友達2人に声を掛け、その2人ともセンスもあったことからデザイナーをやってもらうことに。
さらにはその社長さんの紹介で会った初日にいきなり5万円を渡してくれた怪しいおじさん笑の事務所を無料で貸してもらえることにもなり、そこを拠点に仕事をすることが出来ました。
僕の仕事は言うならばクリエイティブディレクター。
お客さんとデザイナーを結ぶ役割で、お客さんからヒアリングした内容をまとめ、コンセプトを作り、デザイナーに伝えるということをやっていました。
勉強しながらも社長さんの繋がりから実績がない中でも何件か仕事をいただき、お金をいただけるまでになりました。

さらに、事務所のおじさんがかなり有名な方だったらしく、事務所には東京や大阪から色んなお金持ちの方が集まっていました。
日本のフィクサーや年収が何十億円もあるというこんな若造が絶対に会えないような方々にもお会いして話を聞かせてもらう事は、すごくありがたい経験になりました。
本当に多くの経営者や資産家、政治家の方に出会い、お世話になったこの期間は本当に恵まれていました。

ただブランディング事業の方だけで毎月3人が生活するのが苦しくなってきた頃、並行して何かやろうという事で地域メディアも立ち上げました。
これは街の飲食店やショップ、イベントなどを紹介するブログ形式のメディアだったんですが、収益が上がり出した時にはもう熱は冷め、結局1人はやめてしまうことになりました。
悲しいことではあったんですが、それも自分の責任。
力不足というか努力不足でしかありませんでした。
引き続き2人で事業を続けながらも、もう1人のデザイナーもやりたいことが出来たということで事実上の解散。
またもや同じ失敗をしてしまい、こんな大きなチャンスの時期に命をかけて仕事をしないでこんな結果になったことが本当に情けなくなりました。
公務員の息子が「ニート」を経験!?
残りの仕事もだいぶ落ち着いてきたのですが、今回の仕事の失敗で何かが変わったのか、
「とにかく金があればなんとでもなる!」
という考え方が芽生えました。
その時はもはやニート状態。まさか公務員の両親をもつ自分がニートをやることになるとは考えもしなかったです。
親に心配をかけていた自分への罪悪感を消す方法もいつの間にか身につけていたんだと思います。
そして、ニートをやっていると自分と向き合う時間が多いのでこのときはたくさん「自分」について考えました。
もう何をやってもうまくいかないし自分は情熱を持って物事に取り組めない人間だと自覚しました。
人のためにやりたいと思っていた思いも結局は偽善で、本当に困っている人のために必死に頑張ることはできませんでした。
このときは軽い鬱状態だったと思います。
夢も希望も失って、何を楽しみに生きていけばいいかもわからなくなりました。
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たった100万円の「借金」が人生を追い詰める

ただ、時間だけはあったのでネットでお金儲けの類の記事を読み漁り、ついに見つけた「楽して儲ける」案件に騙されて人生初の借金を負いました。
実はこの前にも知り合いの社長さんに頼まれて消費者金融(ア○ムとかモ○ットとか)のカードを作って渡していました。
順調に払い続けていたので何も問題はなかったんですが、それが払い終わって何年か経たないと新たにクレジットカードを作ることができない状況に。
とにかく自分で追った借金も含めるとだいたい100万円くらいなんですが、毎月の返済というのが中々厄介なもので、バイトせざるを得ない状況になってしまいました。
このときほどお金のありがたみを感じたことはありませんし、ニートの時以上に
「自分はなにやってんだろう。こんなはずじゃないのになー。。」
と毎日思って生きていました。
親友たちはちゃんと就職して一生懸命働いているので、それと比較して余計に焦りや劣等感を感じたりもしていました。
「仮想通貨」にハマって一攫千金を狙う
このままじゃダメだと思い、またちょうど仮想通貨の話をちらほら聞くようになった時期だったので、毎日3時間睡眠でバイトと情報収集をひたすらやり、借金の返済と5万程度の生活費以外のお金はすべて仮想通貨につぎ込んでいました。
そしてまた前のブランディング関係の仕事がいただけたので、その仕事もやりつつ投資の勉強を始めました。
「借金を返すにはFXしかない!そして今トレンドの仮想通貨があるからBTCFXや!」
と意気込んでブログを読み漁ったり書籍を買ったりと情報収集や投資の勉強していたところで、あるひとつのYouTube動画と出会います。
ただの「幸運」な人間

それが人生投資家チャンネルの「人生投資家program」でした。いつも通り何気なくYouTubeを見ていたらたまたま出会ったこの動画シリーズですが、喋っているのはエデンさんという謎の人。ただ、他とは違う本質的な話と圧倒的な情報の質に
「この人はとんでもない人だ!」
と衝撃を受けたのを覚えています。そこからとにかくあがっている動画を貪るように見ました。
しかしそれだけにとどまらず、人生投資家チャンネルの「限定動画」を見てさらに心を突き動かされ、
「もしこのエデンさんという人と携わることができたら人生が変わるんじゃないか?」
というワクワクともちょっと違う胸騒ぎを感じていました。
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そんな中でGmailを開くとたまたま、
「ファンクラブの会員募集します」
との旨のメールが届いていたので考えもせずに即応募。
知らない人だらけのコミュニティに属することが本当に嫌で嫌でしょうがなかった僕ですが、運よくファンクラブに入ることができたわけです。
そこからエデンさんと携わる機会をいただいたおかげで先の見えない真っ暗なトンネルの中にいたような僕の人生は変わり始めました。
「いま」の想い
そこからの毎日はとんでもない学びの連続で、その場のノリではないんですけど今ある仕事も早々に終わらせ完全にやめてしまいました。
借金の返済もある中で入ってくるお金が0になったわけです。
バカすぎる、と自分でも思いました。
でも、なんかやめようと思えました。
多分それは自分を変えたかったから。
そこからエデンさんの指導を受けながら、そして人生投資家ファンクラブで出会った方々と切磋琢磨しながら地道に行動を続けた結果、今ではお金にも余裕が生まれ、時間にも縛られることのない、まさに理想の状態になりました。
ただ、ここまで読んでいただいた方ならお分かりだと思いますが本当にくそ人間です。
バイトぶっちも何回かしてます。
お世話になった人の期待を裏切ったことも一度ではありません。
結局損をしたり得られたはずの幸せだったり喜びを自らたくさん捨ててきたということです。
「もうこんな自分を変えたい!!」
その思いは今も変わっていません。
こんなに周りの人や運に恵まれたおかげで生きてきた人間です。
キレイゴトだって言われても偽善者と言われてもそれでもいいから、数年前に目指していた本当に困っている人のための仕事を0から生み出せるような人間になるために、これからも走り続けます。

そして、人生投資家ファンクラブという僕の人生を変えてくれた場所を、僕みたいに夢や目標を失って先の見えない生活を送っている方が人生を変えれる居場所にできるよう、「今」できることに取り組んでいきます。
そしていつかファンクラブの皆さんとお酒でも飲みながら過去の苦労話なんかを語り合えたら、それこそ幸せだなーと僕は思っていますし、そんな日が来るように精進していきます。
こんな見ず知らずの人間の長い長い文章を、最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
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