激変した暮らし

 

私は大阪生まれ大阪育ちの一人娘でしたが、私が3歳の頃両親は離婚し、私は母と祖父母の元で暮らしていました。

母は働いていましたが、祖父母が家にいるため父がいない寂しさはありませんでしたが、どこかで私は皆んなと違うんだと否定的に思っていました。

それ以外は何不自由なく、いわゆる一般的な家庭で暮らしていました。

ちょうどバブル時代であったことも重なり、ひとりっ子だったので欲しい物はすべて買ってもらって我慢する事を知らない子供でした。

 

 

ところが、母が再婚。

12歳までひとりっ子だった私に新しい父と妹が2人できました。

私は妹が出来たことがとても嬉しくて、歳も離れているのでかわいくて仕方ありませんでした。

しかし、新しい父は自営業で八百屋をしてましたが景気もどんどん悪くなっていったことやスーパーマーケットが普及し、小さな父の店をたたむことになり、父もすぐに職が見つかるわけもなく生活はとても苦しくなりました。

もちろん欲しいものは買えないという生活でした。

今までの生活とガラリと変わりましたが、可愛い妹がいて、お父さんやお母さんがいるということが嬉しくて、貧乏ながら私はとても幸せでした。

 

〈離婚に対する価値観〉

 

しかし、母は再度離婚。

この時私は21歳で既に就職し、家を出ていました。

「母の人生だから」とか「母が決めたことだから」と理解はしていましたが、2回目の離婚ということもあり離婚を繰り返す母への疑問が強まっていました。

離婚するのは勝手だけど、悲しんでる子供の気持ちはどうなるの?とか、母は我慢できない人だ!とも思ってました。

私がもし結婚したら絶対離婚しない。

自分が我慢したら離婚することは避けることができる!と思ってました。

 

〈学生時代に出会ったステキな人〉

 

学生時代に戻り、、、

中、高生の頃、年の離れた妹が病気で入院したり、父が脳梗塞で倒れ入院したりと病院へ行く機会が多くありました。

特に母が入院してしまうと、家のことは私がすることになり、朝から洗濯、父と自分のお弁当作って、学校へ行く前に保育所に妹を連れて行き、もう1人の妹が入院している病院へ洗濯物を持って行ったりして、学校に通っていました。

その時家事も慣れてない中必死で、早く退院して欲しい思いでした。

ある日、病院の看護婦さんに「お姉ちゃん家のこともあるし大変でしょ?よく頑張ってるね。」と掛けてくれた一言に私は救われた気持ちでした。

自身の今の状況を話す人もいない。

状況をわかってくれる人もいない中だったので、「この世の中に私の立場や思いを理解してくれる人がいるんだ。」と認められた思いでした。

看護師さんは病人の事を考える人というイメージでしたが、病人の周りの家族への思いやりも持てる人なんだ!と感じステキな人だなと思いました。

それがきっかけとなり私も、どんな人にも思いやる気持ちができる人になりたいと思い看護師を目指しました。

 

〈異色の人との出会い〉

 

無事、看護師国家試験に合格し就職。

一人暮らしをしながら仕事をしていました。

ずっと家族で暮らしていたのでやはり一人暮らしは寂しいものでした。

一人で家にいる寂しさから寝る時以外はほぼ外に出かけていました。

ある時、携帯のゲームで知り合ったのが旦那さんとなったのですが、地元が同じであったり、色々共通点がありどんどん心を開いていってしまい、会うことになりました。

ネットで知り合った人と会うって抵抗ある人も多いと思いますが、若さもあり勢いで会いに行き、意気投合しすぐに結婚、出産となりました。

が、、、

ここから壮絶な5年間の始まりとなりました。

 

〈薬物???〉

 

旦那さんとは素性も知らないまま結婚して、妊娠中に覚醒剤をしていることがわかりました。

私自身、覚醒剤というものを理解しておらず「愛があれば覚醒剤も辞めさせれる」なんて思ってました。

旦那さんが違法な事をしていたと分かりながらどこかその旦那さんの事を理解したかったのです。

この事がわかっても離婚する事など微塵にも思わず、子どもが産まれたら変わるんじゃないか?、私が優しくしたら辞めるのでは?とか自分が旦那さんを変えてみせる‼︎ぐらいに思ってました。

しかし、そんな簡単なものではありませんでした。

5年間一緒にいましたが逆に覚醒剤をやる頻度が一年毎だったのが半年、毎月、毎週とどんどん増えました。

やる度に、お金も何十万と使い果たし、もちろん仕事も出来なくなりました。

薬物をしている時は家に帰ってこず、連絡も途絶えてしまい、帰ってきた時には痩せ細り帰ってくるため、何か危害を加えられるということはなく、薬をする事以外は子育てや家事も手伝ってくれる気の優しい旦那さんでした。

 

〈自分の無力さに気づく〉

 

薬物を辞めるために、更生施設や色んな提案もしましたが、結局やめることは無理でした。

本人がやめたいと思っていたとしてもやめれないものなのに、当事者でない他人の私ではどうにもできませんでした。

この時に人生で初めて自分は無力なんだというものを感じました。

自分の旦那さんすら私は覚醒剤から救えないんだなって思いました。

子供もパパが大好きだったのでどうにか一緒に暮らしていきたい気持ちがありました。

最後の最後まで、母と同じになりたくないから私は離婚はしたくありませんでした。

自分が我慢したら子供が悲しむ事を避けることができるからです。

ですが、年月が経つにつれて、他の人に迷惑をかけるような事態にいつなるかもわからないくらい薬物漬けになっていました。

このままでは子供が後ろ指差される事になりその方が子供によっぽど悲しい思いをさせてしまうと思い離婚を決意しました。

 

〈依存は皆持ってる側面では??〉

 

薬物依存症になる事は良くないとかアホだとか思うと思いますが、私はたまたま、薬物に旦那さんは依存してしまった。

依存する対象が最悪にも薬物だった。それだけと思っています。

ギャンブルもアルコールも、ゲームも違法に当たらないだけで、同じ依存性があると思います。

それが、生活を破壊してしまったり人に危害を加える事があるかないかの差と思います。

私自身も自分で気づいていないだけで何かに依存しているかもしれません。

そう思うと、私は旦那さんに執着し、依存していたのかもしれません。

 

〈執着心から解き放たれる〉

 

以前から警察に相談していましたが、警察からは「なぜ覚醒剤をしているとわかるのか?証拠は?夫婦間のただのケンカだろ?」と相手にしてもらえませんでした。

3年位は相談し続け、捕まえてくれるきっかけがたまたま旦那さんが別の件で捜査されており、担当の刑事さんと話す機会をいただきました。

その刑事さんはとても親身に私の気持ちも汲み取りながら、逮捕状の出ている旦那さんを捕まえるため、たくさん話を聞いてくれました。

結果、旦那さんが家に戻った時に刑事さんに連絡したら捕まえに家に来てくれる方針となりました。

本心は捕まって欲しいと思ってませんが、そうでもしないと薬漬けの旦那さんをどうすることもできなかったので、そうしました。

でも、これで周りの人に迷惑をかけなくて済むし、旦那さんが一時的にでも薬を使用せず生きることができると思い選択しました。

もし、子供がいなければ離婚すらしていなかったかもしれません。

どこかで本当の父親がいない事を否定的に思い、自分の家族を壊すのが嫌だったのもあります。

この家族を崩したくない執着です。

でもすでに、精神的にも肉体的にも疲れ切っており、ボロボロでした。

離婚しないために我慢することが決して良い事とは限らないと気づきました。

母が離婚したことに対してもこの事で少しは理解でき、疑問が拭い去れました。

子供がいたから前に進むための決断ができたと今は思っています。

私自身も薬物依存の家族の会に参加し色々と学びました。

この5年間は結局、旦那さんの覚醒剤の尻ぬぐいをすることで更に、使用できるような状況にしてきてしまっただけなんだと反省しました。

人を変えることなんてできないんだなぁーって常々思いました。

むしろ、人を変えるなんておこがましい事だと感じました。

それがその人にとって良い事と感じたとしても。

良い事と感じてるのは自分だけで、相手は良い事と思ってないかもしれないです。

自分と人の考え方や価値観は違うという事もわかりました。

ただの押し付けになるという事を自覚しました。

そこから執着が何に対しても解放され、とても生きやすくなりました。

 

〈価値観の変化〉

 

それから、ちょうど子供が小学生に入学だったので鍵っ子にするのは可愛そうと思い、実母の所へ一緒に住むことにしました。

時間的な余裕を持つために正社員からパートに働き方を切り替えました。

正社員で働いている時は、収入は安定的に毎月入ってきますが、自分の事、家族の事を深く考える余裕なんてありませんでした。

しかし、パートになって収入は減りましたが、その分時間の余裕があるため知恵が湧き、看護師の仕事以外の色んなことへ参加したりできるようになりました。

時間のゆとりができた私は、依存症の家族の会でNLP(神経言語プログラミング)を受けると良いよと聞き受けることになりました。

私がNLPを受講して感じたのは、自分の意識してる部分は氷山の一角のようなくらいで、自分の無意識の部分は無限にあり、見えていなかったり、気づいてないだけなんだと知りました。

自分の事なのに自分は全然自分の事を知らないと感じました。

そこから物事一つ一つに対して、「自分は本当はどう思っているのか」という事をよく考えるようになりました。

それを繰り返す事で、考えがコロコロ変わったりする自分に気づいたり、でも、それが本音だったり、自分自身の考えや自分のことが徐々にわかってきた気がします。

何をするにも自分は何を求めて行動しているのかがわかると、その他のしがらみに呑み込まれにくくなりブレない自分になれると感じました。

 

〈そして今〉

 

収入がある程度あっても税金でかなりの額を引かれます。

働く者から年金、府民税などなど色々引かれ必死で働いてる自分がバカらしく思えることもありました。

特に病院にいる時に生活保護者の方が診察に来て、優雅に時間の余裕もある、お金も国から頂いて、という姿を見たときに、賢く行きてるんだなと感じました。

自分がそうなりたいかと言われるとそうではないのですが、賢く生きる事って大切だなと感じました。

学ぶ事はいくつになっても必要かつ不可欠な事だと感じました。

ちょうどその頃、時間・心の余裕もあり、投資についての動画を見て学ぼうとYouTubeを見ているとEDENさんの動画を見つけ、人生投資家Programに出会い、今に至ります。

人生投資家Programは人生ってなに?幸せってなに?これからどうやって行きていけば良いの?など疑問に思っていた私に色んなヒントを与えてくれました。

動画を通じて、「ひとそれぞれフィルターが違うから同じ物事でも別のことに見える」「心の穴を埋めるための行動」のお話など、「そうだよね〜。なるほど‼︎これでいいんだ。」という内容で、勇気や希望を与えてもらえました。

この歳になり、出会いって本当に素晴らしいと思います。

人との出会いはこんなにも人生の転機になるのだなと思います。

とても感謝です。

これからも一つ一つの出会いを大切にしていきたいです。

ずっと執着してた旦那さんを手放したら、自分が想像もしていなかったような新しい人、物が集まってきました。

執着することも大切かもしれないけど、心が壊れたり体を壊すものならその執着って無意味だなと感じます。

執着を一つずつ取り払って身軽になるってとても軽やかに生きる事が出来る感覚です。

自分自身、とても自由になれます。

前向きになれます。

もし、また執着してしまうような出来事が起こっても直ぐに手放すことのできる自分になりたいです。

生きる上で起こる全ての物事に対して。

 

twitterアカウント: @kvKGvngzrYS9eYZ

 

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