自分を消すスキルを身につけてしまった僕は。

 

はじめましてピーナッツです。

プロフィール記事に足を運んでいただきありがとうございます。

こちらは、ぼくが本当にオススメしたい動画です。

投資感だけではなく、これからの生き方までも見直させられました。

完全無料になってますので是非ご視聴してみてください。

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ここから下の記事は

自己紹介も兼ねて、ぼくの幼少期から株式投資に出会い、そしてYouTube発信を始めるまでの半生を書いています。

少し長いですが暇つぶしに読んでみてください。

 


 

思い返してみると幼少期は自分の感情をむき出しにして怒ったり泣いたり笑ったりよくする子だった。

いつからなのだろうか?

人から批判されることがこんなに怖くてチャレンジできなくなったのは。

そんな自分が嫌いになったのは。

 

父親という存在

 

子供の頃はとても父親のことが怖かった。

家族の中ではいわゆる困った人だった。

怒り出したらもう止まらない。

怒鳴り散らして手が飛んでくる。

頭の血管が今にも切れるのではないかと思うくらい茹ダコが震えるように唾を散らして空気を振動させて怒る。

父親が仕事から帰ってきて小さい時はとても泣き虫だった僕の頬に涙の跡が見えた時は

「男が泣くんじゃない」とよく殴られた。

殴られるとまた頬に一級河川が出来上がる。

読売ジャイアンツが負けた時などは緊張するくらい怖かった。

そういう父の存在があってか小学生の頃に少しずつ自分を出すことへのブレーキがかかり始めたように思う。

 

恐怖の独裁者“剛田先輩”との出会いで僕は飛べない鳥になった。

 

中学生になった産毛な僕はバスケットボール部に入った。

当時爆発的に人気のあった漫画を観たせいか僕もあの主人公みたいに高く飛べるのではないかと期待を膨らませていた。

だがそんな事は起こらないのだとすぐにわかったのだ。

初めてクラブ活動に出た時、隣の友達と話をして笑ってる時に

怖い形相でこっちに歩いてくる人がいた。

顔を上げると目の前に数人をひきつれてきたその鬼の口から

「テメー笑っとるのは今のうちにだけじゃけえのぉ!!」

と殺人鬼のような目をしてなまった広島弁で僕に吐き捨てて去っていった。

偉そうに見えたのかなぜかその剛田という名前の先輩から目をつけられた僕は、それから文字通り笑う事がなくなった。

その1つ上の剛田先輩はいわゆる番長的な存在で喧嘩が誰よりも強くて、後輩だけでなく先輩までもがビビっていた。

すぐ切れる情緒不安定な人だった。

2日に1回は練習中に誰かしら殴られて体育館の床というリングに沈んでいった。

怖いだけではなく練習もハードだった。

水も飲めずそこでもリングに沈んでいく毎日だった。

逆らうなんてありえないし“自分を出す”というところと真反対の軍隊に身を置くことになった。

そこで僕は強烈に自分を消すスキルを身につけたのだ。

ここで僕の学んだことは自分を出す事でひどい目に遭うということだった。

それは今後自分を出して根本を否定されるのが怖いという種が根付いた出来事だったように思う。

 

お客さんにも話せない日々

 

そんな中学時代を過ごして来た僕も高校生になり、誰も僕に規制をかけない状況ができてとてものびのび暮らせた。

バイトしたりバンドしたりバイク乗ったり自由気ままに楽しんだ。

そうこうしてるうちに就職活動期に入り、何か物を作る楽しさを、そして人と近距離で接することに憧れて美容師の世界に入ったのだった。

初めて入った美容院では高校時代のようにのびのび仕事をさせてもらった。

お客さんとそんな話していいのかってくらい入り込んだ会話もまだ10代だった僕をお客さんは暖かく見守ってくれたおかげでそれが成立していた。

そしてより高みを目指して働く美容院をもっと街中に変えた。

その美容院は高所得者をターゲットにしていた。

美味しいラーメン屋に行った話をお客さんと話しているだけで「質の低い話はやめろ」と怒られた。

テンパってかお客さんに失言してしまいそしてまた怒鳴られた。

それが呼び水となり中学時代の感覚が一気に舞い戻った。

そこから何を話せばいいか分からなくなった。

だから当たり障りのない話ばかりするようになった。

それが長く続いた。

止むにやまれる思いでコミュニケーションや自己啓発の本を多く読み講習会にも何回も行った。

だが、すごく知識は増えていったが肝心のお客さんとのコミュニケーションが一向に良くならなかった。

テクニックで何かしようとしても相手には違和感にしか映らなかったのかもしれない。

 

気を病んでそこの美容院をやめた。

 

違う美容院に勤め始めたのをキッカケにだんだん変化してきた。

自分らしさを出す事こそお客さんとの距離感を縮める唯一の方法だと気づいた。

そこから最初はビクビクしながらちょっとずつ自分を出していった。

お客さんもだんだん可愛がってくれるようになってきた。

だが何か悶々とし感覚が常に体の中にあった。

 

父親が死んだ日

 

僕も社会人期間が長くなり以前より徐々に父親の事が受け入れられるようになってきた。

あの理不尽だった父親も徐々に角が取れその父親の不器用な優しさにも気づけるようになってきた。

以前はまったく挨拶もしない時期もあったが「行ってきます」と言って出勤できるようになってもいたし一緒にゴルフも行くようになっていた。

ある日記録的な暑さになった夏も終わりを迎え、そろそろ秋という少し静かな匂いがしてきたある日のこと、職場に一本の電話がかかってきた。

なぜか義理の姉からの電話とのことだ。

「お父さんが倒れたよ」

平常心を装い職場の人に伝え、急いで車に乗り込んだ。

運転中は周りの車がスローモーションに感じ、歩いてる人が歪んで見えた。

すぐ駆けつけたがもうすでに心臓の音が消えていた。

朝までいつもと同じように「行ってきます」と交わした父親がもういない。

信じられなかった。

人間って儚いなと思った。

父親の葬式では僕だけ泣いていなかった。

思い返せば「男は泣くな」と父親に育てられたからかもしれない。

そこでもまた僕だけが感情を押し殺していた。

 

小さい頃にできた心の穴を埋めることに取り憑かれた

 

しばらくたったある時、僕の尊敬している人にある言葉をもらった。

「あなたは自分の根本を否定されるのが誰よりも怖くて、それから逃げるよに生きてきた。その為にいろんなことをして鎧を装着して武装しようとしてきたんだね。」

あぁぁぁぁぁぁ

今までの生きてきた37年を頭の中でぐるぐると振り返った。

その言葉が構えたキャッチャーミットに吸い込まれるように正確に入っていった鋭いボールのように的確な言葉だと思った。

僕の人生は自分のために楽しんで歩いてきたというより否定されないように、怖いものに触れないようにように必死でそこから逃げてきた人生だったように思う。

他人の為に生きてきたようなものだ。

それは若かった頃に無意識に自分を守る為に空いてしまった心の穴。

いろんなチャレンジをするときになぜか終盤になってそろそろ実になり始めた時くらいに何かしらもっともらしい理由をつけてでごまかして逃げてしまう。

まさに自分の責任がかかってきた時、人から言われたことをやっているうちはいいのだが自分で舵を握ろうとした途端逃げたくなる。

自分を出していって自分の根本を否定されないようにされないようにと生きてきたように思う。

その“根本を人から批判されるのが怖い”ということを隠すためにいろいろやってきた。

必死で鎧を着て武装した。心の穴を埋めようとした。

どうやったらその恐怖心が無くなるのかとここでも本を何百冊と読んだ。

やはりどんないい本を読もうがその恐怖がなくなることはなかった。

美容師の練習も必死でやってたのは憧れがあったからではなくて、人から下に見られたくなかったからだ。

どうすれば自分の感情をごまかされるかばかり考えて、それが僕の行動のほとんどになっていた。

自分が批判されないように、人の悪口を言って自分を正当化することさえあった。

 

株式投資との出会い

 

30代をすぎたくらいら色々な不安が出てくるものだ。

その一番の悩みがお金のことだった。

どのくらい周りの同年代は収入があるのだろうか?

そのような隣の芝生の深い青さのことをいつも気にかけていた。

比べれば比べるほど自分が色あせてみえる。

そしてこれから結婚して少ないお給料の中からおこずかい制と言う首輪をはめられて生きていくのをイメージすると自分の可能性がもうなくなっていくように感じた。

ああ、もう小さい頃に思い描いていた未来のかっこいい自分にはなれそうにないのか?

そんなある日仕事で30代のお客さんが

「僕、株式投資をやっているんです。すごく面白いですし、儲かるとおもうんですよね!!」

何か血が騒いだ。

今まで僕は汗水働くことでしかお金という対価を得られることはないと思っていた。

“お金に働かせてお金を稼ぐ”

そんな概念はなかった。

月に1万円でも株式投資で収入が増えれば万々歳。

すぐさま検索エンジンで株式投資のことを調べまくった。

証券会社に口座を開くのにそう時間はかからなかった。

株式投資をやっていくうちにどんどん楽しくなった。

しかし甘くない。

そう、人生は甘くない果実だというのを忘れて夢中になっていたのだ。

株式投資は株価が上がるか下がるかしかないので

税金、手数料を引かれるのを入れなければ何も考えなくとも2分の1の確率で利益は出るはずだ。

その2分の1の勝率に加え、いろんな株式投資の本や動画で学びどんどん自信がついていった。

しかし、実際はどうだったかというと勝ったり負けたりと一喜一憂している間に

だんだんなけなしのお金がブラックホールへと吸い込まれていったのだ。

お金に働いてもらうと言って始めた株式投資で逆に僕が汗水働いたお金を吸い取られてしまう。

やはり“ダメ”な思考で今まで過ごしてきた僕にとってはこのまま株式投資を続けていってもやはり“ダメ”なのか。

凡人は凡人のままなのか。

そんな風に自分を否定しているときに一本の無料動画と出会った。

色々と株式投資発信をしている人の動画を数々観てきた。

観たその瞬間は株式投資の本質にたどり着いたといつも感じるが全然“ダメ”だった。

上手くいかなかった。

しかしその他大勢の動画発信をしている人と何か違う株式投資発信をしてる人を見つけた。

何が違うのかはその時は分からなかったが『本物』だと言うことは直感が手を叩いて教えてくれた。

そしてこの動画の内容が僕の根本を変えてくれた。

 

その株式投資動画との出会いが僕を根本から価値観を変えるきっかけとなった

 

なぜその動画に僕が惹きつけられたかというと、株式投資の本質が詰まっていたからだ。

例えば一つあげるとすれば多くの負けている投資家達は未来の株価が上がるか下がるかを知る為にどんな法則があるのかを探している。

ただそれを探しているうちは上手くいかない。

本当に大切なことは、その株価が未来に上がっても下がってもそれを何回か繰り返すことでトータルで利益を出せる“仕組み ”を作ることが大切だということだ。

(気になられた方は無料なので是非見て欲しい。観ればなぜ僕がオススメしたかがわかるはず。)

無料

 

もう無駄な情報は入れずに重要にすべきことはこれだけでいいと思えた。

ただこれは株式投資だけではなく僕の人生全般を変えた。

この動画を観て初めて株式投資で上手くいく概念は全部繋がっているんだと分かった。

逆に株式投資を人生に生かそうと思たらどんどん日常が楽しくなってきた。

よくよく考えたら僕たちが何気なく生きている中でいろんなものに投資をしているんだと気づいた。

着ている服、今日食べた昼食、いつもつるんでいる友達、付き合ってる恋人、そして今この瞬間にやっていること全てが自分の大切なお金とエネルギー、そして限りある時間を使って投資をしているということだ。

人生は投資の連続だ。

というか人生は投資そのものといった方がしっくりとくる。

その色々な物や行為への投資は株式投資を通して一気に変わり始めた。

 

自分の人生を歩く為にチャレンジする決心がついた

 

いろいろな思いが自分から溢れ出した。

もしも今日自分が死んでしまったらどうか。

この人生に愛着を持てるのだろうか。

このまま他人の人生を生きていっていいのだろうか。

自由に思いのままに楽しめた幼い頃の自分。

厳しかった父親、恐ろしかった剛田先輩、話すことが出来なくなった美容師時代

そして父の死

心のどこかにしまい込んでいた憧れにチャレンジしてみたくなった。

程なくして精神的、経済的不安でためらっていたはずの結婚を決意できた。

そして自分らしさを出す為に僕は美容師として独立していく決心がついた。

少しでも株式投資を広めたい、そして日常にもっと株式投資を取り入れて人生を豊かにしたいという想いから『日常に株式投資を。』チャンネルというYouTubeで発信するようになった。

 

 

twitterアカウント: @pppppnattu

 

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