はじめまして!「ともぞー」(@tomozo_2018)です。
今、あなたは、先の見えない人生に困ったりしていませんか?僕も同じ、本当に人生の先行きが不安でした。
「給料は上がらない」「家庭が上手くいかない」「楽しい事がみつからない」いろいろな悩みがありました。
これから、お話する僕の人生ストーリーは、あなたにとって、まったく有益ではないかもしれません。
でも、「こんな人もいるんだなぁ」程度で構いません。
頭の片隅にでも置いてて下さい。その程度で、幸いです。

こんな人に読んでほしい
- 人生の先行きが不安な人
- 毎日、やることがなくてゲームやパチンコで暇つぶししている人
- 人生を変えてみたい人
- 目の前の壁を乗り越えられなくて行き詰まった人
- 自信が無くてストレスに弱い人
- 過去にイジメられた経験のある人
- 自分の安月給に満足できない人
この記事を書いている僕は、「人生の先行き不安だ・・。とボヤいているだけの平凡なサラリーマン」でしたが、今は毎日やりたい事がありすぎてワクワクが止まりません。
それと、ちょっとした副業もはじめて、先の事を想像するとニヤニヤが止まりません・・。笑
- 「ともぞー」って誰?
- 誰に何を伝えたいのか?
- ともぞーの人生を暴露します。
「ともぞー」って誰?
ともぞーは岐阜県の片田舎に住む2児の父、共働きで、表向きは平凡なサラリーマンです。
37歳にして月収20万円。給料は上がらず、先行きは不安しかありませんでした。

【プロフィール】
twitterと雑記ブログ、たまにnoteで執筆活動をしてます。
ブログ+noto+2児の父+共働き+サラリーマン+ほぼ主夫 |😅中学いじめで不登校➜大学はモテ期➜転職4回➜37歳で月収20万円➜将来が不安➜家計の見直しと資産運用➜人生投資家エデン氏と出会う➜ブログなど副業をはじめる✨👈 今ココ
ともぞーが皆さんと触れ合える場所。
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僕が活動出来るパワーの源はここ。一緒に勉強して成長しませんか?
ともぞーが最近やっている事。
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・ブログ開始から半年で、月間PVは10000超え。
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そのノウハウを活かし、「アドセンスで月収1000円を達成する!」を目標に、ブログ初心者の方から、アドセンスでなかなか収益が伸びない人を対象に、無料のブログコンサルをはじめました。
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しかも、そのノウハウ無料で手に入るんですから。
現在は2名の方を対象にコンサルしています。
また募集をかけるかもなので、興味のある方は応募してみて下さいね。一緒に楽しみながらやりましょう。
【カフェのオーナーに復帰してもらいたかったが失敗。】

つらかった時に愚痴を聞いてもらったり、相談にのってもらった、カフェのオーナーがいました。
お客さんが5人程度しか入れない、とても小さなお店だったんですが、経営悪化で店をたたみ、現在はアルバイトで生計を立てている様子。
もう一度、店を開くまでに復活して欲しいと思っていました。
「そのバリスタの腕を生かしたブログを作ってもらい収益確保して、復活してもらえれば!」と。ブログなら少資金で始められますから。
と話を持ちかけたのですが、「新しく始めたアルバイトの仕事があるし、今のところ独立する気はない。気持ちだけありがとう。」と断られました。
僕の話の持っていき方が悪かったのかもしれませんね。なんか、頭の中で勝手に想像が膨らみ明るい未来を想像していただけに、出鼻をくじかれてヘコみましたが、
お金だけで人は動かないという事を痛感させられました。
とりあえず、やってみた事に後悔はなく、清々しかったです
誰に、なぜ何を伝えたいの?

誰に伝えるの?
過去の自分のような人に伝えたい。
人生の先行きが何となく不安、主に金銭面から派生したイライラ、「このままでいいのか?」と悩む日々。
先行き不安で、人生を変えたいけど、漠然と何を始めたら良いのか、わからない人。
なぜ何を伝えたいの?
エデンさんから伝えていただけた事もありますが、自分で試してみた事、考え方ひとつで、気持ちが変わるし、ワクワクする事が沢山増えてきた。
今の自分は以前の自分とは違い、何か少しでもヒントが伝えられそう。
考え方一つで物事は変わる事。そして同じような境遇の人がハッピーになってほしい。
ともぞーの人生を暴露します。

表向きは、平凡なサラリーマンだと言っていましたが、過去についても知りたくないですか?現在に至るまで過去を知ったら「この人って、普通かぁ??」って思うかも・・。
読んでいくうちに、人によっては軽蔑されそうかもですが、最後まで読み進めて楽しんで下さい。
夢中になりすぎて「器物損害」を起こした幼少期。

この当時の記憶は曖昧ですけど、思い出せる範囲内で。遊びばかりの毎日で楽しかった記憶があります。
いろいろな事にも興味を持った時期かな。父親が高校の美術教師だった事もあって、粘土遊び、絵の具遊び、物を作る事がとても好きだった。
作品を作らせてもらった記憶があります。
あまりに自由だったのかなぁ。
興味を持って解決する事の楽しさを学んだのもこの時期だったかもしれませんね。
冬だったかなぁ、保育園の友達の手袋には視点を変えると絵柄が変化する「レンチュキュラー印刷」と言うものがありまして。
内部の構造が知りたいあまりに勝手にハサミで切って破壊。親も呼び出されて叱られたというエピソードがあります。
モノに執着しすぎた、少年期。

地域に子供がいる家庭が少なく、唯一の友人といえば、開業医の息子だった気がします。
お金持ちで、おもちゃをたくさん持っていたから、それ目当てに通っていた記憶があります。
うちは貧乏だったとは思いませんが、自分がアトピーが酷く病気がちだった為、母親が添加物の入ったお菓子や食べ物を嫌い、お小遣いもほとんど与えないという教育方針で厳しかった気がします。
ゲームや市販のおもちゃは、ほとんど買ってもらえなかった。
ドラえもんや、戦隊モノの番組、ガンダムなど、テレビさえも見せてもらえなかった。
その反動で、他人の持っているモノが羨ましくなっていた気がします。
お小遣いが少なく、母の財布などからお金を盗むようにもなってしまい、一度だけですがスーパーでお菓子を万引きしてしまった事もありました。
親としては「子供の為にやっている、普通の子に育って欲しく無い!」との思いがあったのかもしれませんが、軽い虐待かもしれませんね。
友達も、本当の友情とかではなく、おもちゃを沢山持っている子、テレビゲームを持っている子の家に行っては、恨めしそうにゲームの順番がまわってくるのを待っているだけの少年でした。
なので、その頃の友達とは現在全く付き合いがありません。
モノに執着しすぎていました。
人生が終わったと思った、中学時代。

中学生になったら、世界が変わってしまいます。「体が小さく、髪型(毛が黒く太くてボサボサ)が変だ!」と外見から始まって、いじめに合うようになります。
小学校の頃サッカーが好きだった。当時Jリーグ開幕時期で盛り上がっていて、青が好きだとの理由だけで横浜マリノスを応援するだけの少年でした。
初恋は、その時だったかなぁ。ヴェルディ川崎が好きだという話で盛り上がり、校内ではカワイイと評判の子にダメ元で告白して付き合う事になったけど、付き合ったとは言わないような恋でした。笑
それでサッカーを単純にやってみたいと部活はサッカー部に入りましたが、
サッカーをやっている奴らはすでに小学校からスポーツ少年団というクラブに入っていて派閥ができていて、中学から入ってくる僕みたいなのは、いじめの対象になりやすかったのかと思います。
先輩からも同級生からも、いじめられ、走らされるだけの毎日でした。
クラスでも、いじめにあい、ひどい時は学校に行くとめまいがして、目の前がブラックアウトして倒れました。
先生たちも守ってくれる大人はおらず、「学校には行きたく無い!」と不登校が続きました。
「もう、卒業は無理ですよ」とまで言われるようになり、両親も必死にどうしたらいいか考えたのでしょう。
そして、環境を変えるとうい手段をとったのだろうと思います。山梨県の過疎の村に「山村留学」と言う制度があることを両親が新聞でみて、行ってみる事にしました。
都会から、不登校になった子だけではなく、田舎に行って何か学ばせたいという親の思いがある子たちが集まりました。
僕も「今の学校は行きたく無いが、卒業だけはしないと」と言う気持ちがあったのだろうと思います。
岐阜から遠く離れた山梨県で寮生活をする事となりました。親も大変心配だった事だと思います。
今となっては、もう感謝の気持ちしかありませんよ。必死に考えてくれた結果でした。
田舎の子は素朴で、先生たちも心が優しい人たちばかり、寮では一番上の高学年だったので、いじめられる事もなくなった。
もう一人、東京から来た同級生がいました。
彼は勉強がとても良くできて親が人生経験の為に入れただけだったので、早く地元に帰りたいと言っていました。
僕は地元の事は忘れ、寮生活だったけど、とても生きやすかった。
まぁまぁサッカーをやっていた事だけあって、クラスでは少しだけ人気ものでした。
同じクラスの女子に告白された事もあったんですよ〜。手紙をもらって。
イキイキしすぎて復活し始めます。寮では少しヤンチャも。
男子を連れて、女の子のお風呂を覗きに行くなど、バカな事もした記憶があります。
そんな時、寮で同級生だった奴が地元へ帰ると言って戻って行きました。
僕も自信がついたのか、地元へ帰る決意をします。
前と同じ学校へ戻って、なんて説明すりゃいいのか?とも考えましたが、それ以上に帰って再スタートするといった気持ちが強かった気がします。
戻って、なんとか中学を卒業する事が出来ました。次に高校へ進みますが勉強も出来ていないし、行ける学校なんて無いって言われていましたが、
ものづくりが好きだった事もあって、当時、偏差値が低かった工業高校へ進学します。
「もしかしたら、イケるかも?」と感じた、高校時代。

クラスのほとんどが不良生徒、卒業後は進学する人の方が希少なくらい。
そんなに頭が良くなくても、それなりに勉強しておけばテストの成績はクラス上位、学年上位になりました。
それで自信がついたのかもしれません、もしかしたらイケるかも?
しかし、たまには中学生の頃の引きこもりがちの気持ちが出てきて休んだりもしたりもしましたが、気にかけて家まで寄ってくれるようなヤツらもいたので、今思えばそれで引っ張ってもらったようなものです。
その時の友人にギターをやっていたヤツがいて、そこからバンド音楽に目覚めました。
ギターは目立ちすぎるのでベースを弾いてました。その頃はバンドが流行ってました。
「バンドやろうぜ」って雑誌がバイブルでしたね。
タバコを吸うヤツ、酒を飲むヤツも周りに沢山いましたが、別に染まることも無く。
「就職するなら大学は出ておかないと」と思っていた僕は、何かチャンスを狙っていました。
危険物の資格など、学校でも評価が良くなる資格取得に夢中になりました。
そして、生徒会に立候補して生徒会員になるなど今考えると自分でも何をやっていたのか意味不明です。
内申書のポイント上げをして、見事学校推薦枠を獲得します。
私立の大学でしたが筆記テストは無く簡単な面接だけで入学してしまいました。
大学時代は、車と不純な性生活。

大学へ進学すると、勉強もちゃんとやってましたが、免許をとってからというもの車の改造やレースにのめり込みました。
バイトで稼いだお金は車の改造費につぎ込み。
夜な夜な山道で暴走行為。レース場へ行ったりと。
今思えば、全く無駄な金と時間を使ってしまったと後悔しています。
あとは、女性関係絡み・・。
大学デビューてヤツです。高校は男子校ですからね。
最初に付き合った子は、何かオットリしてて、免許取り立てて車に乗せてもらってドライブに行ったんですが、お店から出る時に、ドライブとバックを間違えて、後ろの車に「ガッシャーン!!」
良く見たら、完全なヤンキーの車で、降りてきてめちゃめちゃ口論になったのを思い出します。
不運てこんなにも重なるのね・・。
初めては、年上の先輩でしたかね。
あと当時、チャットが流行っていて、それで知り合った大阪の女の子の家に転がり込んで数日間泊まり込んだり。エロ目的。
神戸や大阪、京都あたりで遊んでました。懐かしいです。
インターネットでの出会いも多かった気がします。
当時30代くらいの人とも不倫関係になったり、何にも考えてなかった馬鹿野郎です。
今考えるとゾッとしますよ。
当時は全然悪いと思っていなかった。その他、1日限りとか・・。
まったく最低な男だったですよ。
なんでか良くわからないけど、かなりモテていた気がします。
バカな大学生活だったと思います。
なんか人生なめてた気がします。「みんなと一緒、平凡なサラリーマンになんかなりたくない!」みたいな、バカな事思ってました。
卒業を控え、方々で就職活動が活発になると、「なんかダセェなぁ」なんて思ってた気がします。
大学では太陽光電池の研究をしていたので、将来は新エネルギーが伸びてくるなんて勝手に思ってました。
そこから就職先が、思わぬ方向に・・・。
中途半端に夢を追いかけて、転職は4回。

車好きだったせいもあって、当時では先進的だった電気自動車のクラブに自ら飛び込んでみました。
「何か面白い事がないか?」「いい就職先と巡り合わないか?」と探しました。
クラブの代表は東大卒のおばさんで、考え方が異様で面白かったと記憶してます。
いろいろなイベントにも参加させてもらい、無償でいろいろな手伝いもさせてもらいました。
免許取り立てなのにレンタカーでトラックを借りて、大阪の電気スクーターを作っているメーカーさんに、車体を取りに行って販売する仕事とか。
1社目 小さな風力発電機メーカー

電気自動車クラブの紹介で、家庭用の小型風力発電機を作っている人たちがいると紹介され、新しい事業に興味があったし、安定的な会社を選ぶより、面白いだろうし、うまくいったら伸びるかもしれないと、半ばギャンブルのような気持ちで就職してしまいます。
社長はもうすでに70歳近く、以前は半導体検査機のメーカーをエンジニア兼、社長として勤め上げ、会社を売却した資金で、この小さな風力発電機メーカーを作ったそうです。
自家用ヘリコプターも自分で操縦し、とてもバイタリティー溢れる人でした。この人から直接学べば、自分も成長できるはず!手取り足取り教えてもらいましたが、
開発はうまくいかず。入社前は「台風が来ても壊れない風車」と言われ、真面目に信じ込んでいたのですが、台風が来るたびに壊れ、修理工事にばかり行っていました。
最初は耐えていましたが、ある日、民家の密集する地域に試験的に設置する話になり、試験を民家の近くでやるなんて、言語道断。
社長と喧嘩になり退社する事となります。
それ以来、会う事もなくなりました。奥様とは年賀状を交わす程度、2年くらい前から送る事もなくなり、もう亡くなられているかもしれません。
最後は喧嘩して終わってしまいましたが、経験を色々とさせてもらったのに逃げるよな形で終わった事、もう少し考えたら別の方法があったのかも?と言う思いも残っています。
1.5社目 服屋でバイト

後先考えず辞めてしまったので、ボ〜ッとしている訳にもいかず、同級生が店長を務める、ショッピングセンターの衣料品店で働き出しました。
毎日、服をたたんだり、接客したり。
自分はいったい何がしたかったんだろ?っと考えながら。ここでは、プロの洋服のたたみ方がマスターできましたよ。
2社目 電気自動車とスポーツカーのカスタマイズショップ

この会社は、僕が辞めたあと事件を起こし、一度潰れかけていますので、調べればわかってしまうかもですが・・。
車が好きだった事もあって、1社目に就職する前に入社試験を受けたのですが落ちた会社です。
メインは、ある自動車メーカーのスポーツカーをカスタマイズする会社で、当時はとても有名でした。
電気自動車も作っていた事もあり、それにも魅力がありました。
入社試験を受けたころは、そこの技術部長さんの考え方や仕事ぶりに惹かれていました。
ダメ元でもう一度、門を叩き、入社。でもすでに現状は変わっていたのです。
入社時の説明では、その部長さんは有名自動車メーカーに出向中ですぐに戻って来るって話だったんですが・・。
どうも退社した様子・・。そして、次から次に仕事を押し付けられます。
帰宅は朝の3時、出社は朝6時とか、いわゆるブラック企業でした。
転職してきて1週間で辞めて行く人が珍しくないような会社だったんです。社長はワンマンでした。
残業代も支払う事はなく、日に日にノイローゼ気味に。
だいたい、ここで鬱になる人がいると思いますが、辞めるのに慣れていたのか、躊躇なく辞めました。
その後、あの事件を起こします。
辞めなくても潰れていた。
3社目 小型太陽光発電システムメーカー

3社目は、1社目の会社に出資していたところです。
社長さんが、ぜひ来て欲しい!と呼ばれて、給料も多めに払うという契約でスタートしました。
小型の太陽光発電システムを開発して、家庭用でバッテリーを積んで災害時とか遠隔地で電気を使えるといったコンセプトのものです。
これは、今も継続して販売されています。そこそこ軌道に乗った段階で、「君だけ特別扱いできないとか」言い出して、給料を下げられます。
さらには、最初やりたかった太陽光の開発は辞めて、本業の方をやって欲しいと言い出しました。
なんだか先が思いやられ、地元から遠く離れた地域で一人暮らしでしたし、当時付き合っていた、
今の奥さんの事、将来も考え地元に戻る事としました。
こちらは円満退社です。
4社目 機械加工メーカー

今は地元の機械加工メーカーで、機械設計の仕事をしています。
自分のやりたい事もありますが、今までのような冒険をせず、ある程度安定しているところ、賞与も払ってもらえる会社を選びました。
義父が就職していた事もあり、確実な情報でした。
何か自分が大きく成功する夢を見て、いろいろな会社を転々とした挙句、何をしていたんだろう?と思ってしまいます。
収入でいったら、高卒で就職したヤツ、大学から就職していったヤツ、はるかに抜かれ、給料の話をしたくありません。
転職がレベルアップではなかった自分は、37歳にもなるのに、手取り20万円前後、奥さんが看護師をしていて共働きだから生活が成り立っているだけ。
結婚は、人生のゴールではない。

転職4回目のきっかけが、「地元に帰ってある程度安定した仕事につこう、結婚もしたいし。」だったけど、その一方で、仕事に関しては、なんか色々諦めたというか、これ以上やっても上手くいかないんじゃないかという気持ちもあったような気がする。
結婚して、新婚旅行はヨーロッパを旅して、まさに幸せの絶頂だった。
あぁ結婚てすばらしい。いま思えばアホだと思う。人生そういう時期もある。
でも、そこから景色が一変していく・・・。
高級腕時計で全てが台無し。

長男ができ、なんかの雑誌でみたのかなぁ。
「子供にも将来受け継ぐ、一生モノの時計を買おう!」そんなキャッチコピーだったかもしれない。
昔から時計が好きで大人になったら、一流の機械式時計が欲しかった。
一部上場企業に勤める大学時代の友人と時計屋をまわった。
彼は当時、会社の先輩から教わったFXでめちゃくちゃ儲けていて、パネライやらベル&ロスといった有名高級時計を何本も持っていた。
時計店にいって、時計をはめてみると、興奮で目がギラギラしていたと思う。ブライトリングというメーカーのクロノマットって時計が欲しくて。「あぁ、これが手に入るのか・・。」
「無金利ローンも使えますよ!」なんて甘い言葉にも誘われそうになる。
カタログをもらってきては、「よし、これ買う」なんて思って毎晩カタログを眺めていた。
ある日、そんな僕の行動を不審に思ったのか、奥さんがカタログを見た。
「あなたは、この子供が生まれそうな時に、なんでこんな高いもの買おうとしているの!」まぁ、ごもっともである。
あんたとは価値観が違う!となるのでしょう。
これをキッカケに、不のスパイラルである。
妻が実家へ引きこもる。

長男が生まれると、奥さんが自分の実家へ入り浸るようになる。
まだ1歳の子供を連れ毎日実家へ車で行き、義理の両親も奥さんを呼び寄せるようになる。
それを良く思ってなかった、僕自身と僕の両親がいた。
「結婚したのに何なの・・。」そんな時である、実家通いを続けていたある日、奥さんが子供を乗せたまま交通事故を起こす。
僕も、僕の両親もブチギレ。喧嘩となり、奥さんは「実家へ帰る!」と別居生活がはじまった。
5年間の別居生活。

2年が経ち、それでも帰ることが無かった。
「よく我慢してるよな、早く離婚しちゃった方がよくない?」そんな友人もいた。
自分でも何でただ待ち続けていたのかわからない。
めんどくさかったのかなぁ?まぁ一つ言えるとすれば、長男の笑顔だったかも。自分の両親が、こんな状況であるなんて知りもしない。たわいもない笑顔だった。
奥さんは、半ばヒステリーだったかもしれない。
たまに会っても向こうから掴みかかって言い争いになる。
今でも忘れもしないが、そんな時、たった2歳だった長男が、掴みかかってきた奥さんの方が悪いと果敢に立ち向かって行ったのである。
その時ばかりは、僕もこらえきれなくなり、ボロボロと涙を流して泣いた。
何でこんな状況になるんだよ・・。
幸せな家族生活を夢見ていたのに・・。
今まで起こってきた悪い事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
中学生の頃のいじめから始まり、全ての悪い事が。
何で自分だけ、何で自分だけ幸せな生活を送らせてくれないんだよ・・。神様・・。
仕方なく、少しでも近くなるなら状況が変わるかもしれないと奥さんの実家に近いマンションに引っ越す事を決意、この生活は5年続く事になる。
アートイベントのスチールカメラマンをやってみた。

別居中は、時間もあるので、気を紛らわすと意味でも「何か新しい事をやって、自分を変えてみよう!」とアートイベントのスタッフとしてカメラマンをやっていました。
写真の腕前は多少自信ありますよ。
雑誌のコンテストで入賞した経験があります。
音楽家の方と陶芸作家さんとのコラボ動画をyoutubeにアップしていた事もありました。
イベントスタッフの中に女性の方もいて、浮気を疑われ、それ以降参加していません。
苦い思い出でした。
寂しさから疑われるような行動があったかもしれませんね。
技能検定で県内トップ成績も獲得してみた。

恥ずかしい事ばかりでは、単なる変態になってしまうので、少しは自慢できる事も。
技能検定という国の認定試験があります。
いわゆる職業の技能レベルを評価する制度ですね。
時間もあったのでちょっと極めてみようと集中して勉強に費やしました。
そして見事、県内トップ成績で通過して、知事に表彰された事があります。
長男が僕を「ともくん」と呼ぶ理由。

別居生活が長かったものだから、長男は今でも僕を下の名前で呼ぶ「ともくん」と。
「お父さん」と言う呼び方が不自然なんだと思う。
小さい頃、向こうの実家で育ったので、そっちの家の中では「ともくん」だったのだろう。
悲しい話である。
それでも帰って一緒に生活する事がなかった、もう長男も保育園では年長になる年齢5歳まで。
妻の実家の隣に新築したけど、ダメかも?。

そんな状況でもあるに関わらず、家を建てようと言う話になる。
しかも、今度は義理の両親の家の隣に・・。
普通では考えられない話だけど。
うちの両親、親戚中からは猛反対だった。
もう、世間体とかなんかどうでも良くなっていた。アホな話だが隣に家を立てれば、いくらなんでも戻ってくるに決まってると思った。
そして家を新築しました。
で、今の生活どうなってると思います???
半分住んでて、半分住んでないです。
ここまでくると、笑い話ですよ。共働きと言う事もあるんだけど、
夕方帰ったら、新築した家で夕飯を食べてお風呂に入ったら、隣の実家へ子供2人と奥さんは帰って行ってしまい、そっちで寝る。朝は顔を合わさない。
こんな生活です。
まぁ考えられない話ですよ。普通では。
なので、子供が生まれてから、子供と一緒の布団で一度も寝た事がありません。
単身赴任で海外に行ってしまうお父さんの話とかをテレビで見た時に、こんなかっこいい状況じゃないけど、その人たちを思ったら同じ状況だし、すぐに子供とは会えるんだからいいかな?って思って気分を落ち着かせた事もあります。
ですが次男は、完全な別居状態でなかったからなのか、「お父さん」と呼んでくれます。
その「お父さん」と言う言葉がどんなに嬉しかったかわかりません。
お金を増やそうと思った本当の理由とこれから。

実を言うと、最初にお金を増やそうと思った頃は、確かに今の会社の将来性が不安、なんとなく生活が不安と言う事もあったかもしれませんが、
「投資で大金を手にしたら、家のローンを全て払って、こんな生活から抜け出して、離婚してどこかへ行ってしまおう!」だったのかもです。
でも、なんとなく生活を続けているだけですが、子供達もいろいろ意見が言えるようになり、意思疎通が取れるようになると、ますます掛替えのない存在となりました。
そして、エデンさんと出会えた事、人生投資家ファンクラブのみなさんと接した事で、考え方がもっと変わって来た気がします。根本的に違う方面からエッセンスを入れてくれています。
1年前、2年前の自分とは明らかに変わっている気がします。
ブログで発信したり、ツイッターで発信すると、全然思いもしなかった話を知れたり、とても世の中の見方、考え方、視野が広くなりつつあります。
長々と長文すみませんでした。
最後まで読んでいただけた方、ありがとうございました。
人になかなか言えない恥ずかしいモヤモヤは、一部の方からは嫌われるかもしれませんが、なんだか、心がスッキリした気分です。
なぜ、今人生投資家に至っているのか?

仕事量が少ない、給料が増えない、お金が無い、今勤めている会社の将来像を考えると何となくとても将来が不安でした。
ある日、古本でも買って読んでみようかと、目的も決めずブックオフへ。
それほど興味もなかったのですが、菅下清廣著「今こそ「お金の教養」を身につけなさい 稼ぎ、貯め、殖やす人の”37のルール” 」という本を買いました。
「お金の教養」というキーワードに惹かれたんだと思います。
お金に対する考え方が変わる最初のきっかけでした。
それから、横山光昭著「はじめての人のための3000円投資生活」と言う本に出会います。
家計を見直し、節約して資金を捻出し投資(ノーロード インデックス型投資信託)に回す。
お金で、お金を増やすことを学びました。
様々な情報を得て実践し、少しでも明るい未来へ、一歩ずつ近づけるようになってきました。
資産運用は、「投資信託」 にて順調にお金が増えていきました。
人間はダメですね。そうすると欲が出てきます。もっと儲かるものは無いのかと考えるようになる。
そこで、株式投資にも手を出し始めます。大損はしていませんが、うまく増えていかなかった。
ヤフーの掲示板に翻弄され、メディアで有名だったウルフ村田氏の推奨する株を買って失敗。
その後、参考にしていたのが、相場師郎さんでした。
そんな中、youtubeをみていたら、相場師郎さんの事について語っている人がいました。
最初は怪しいと思って、話半分くらいでしか聞いていませんでした。
アイコンはゲームのキャラクターだし、ふざけてんのかと最初は思った。
だけど株の事だけではなく、人生についての考え方がとても面白かったと記憶しています。
そして、何でこの人は有益な情報を熱心に語っているんだろう?って思い、その真意について知りたくなりました。
これが、エデンさんとの最初の出会いでした。
↓僕のように、少しでも人生を変えてみたい人はコチラが参考になりますよ。
今後のチャレンジは無料ブログコンサル。

もう始めていますが、この記事の冒頭でお話した、無料のブログコンサルです。
「アドセンスで月額1000円稼いでみよう!」そこから、小さな成功体感をしてほしいです。
たった1000円?って思う人もいるかもしれませんが、これをやると、こんなメリットがありますよ。
・文章力が格段に上がる。(本業にも生かされる。)
・毎月勝手にお金が入ってくる。
・自分の価値がないと思っていた考え方が、他人の助けとなる。
・自信が持てるようになる。
・ちょっと稼ぐことが簡単すぎて衝撃を受ける。
・ネット検索の裏側が知れる。
・人生変わる。
・毎日ワクワクする。
ブログってネーミングは知っているけど気になっていた人、やってことが無いって人、そもそもブログなんて知らないって人も全てOKです。
スタート段階から全て丁寧に教えますから大丈夫です!
一緒に成長しましょう!楽しみましょう!
無料でやる意味は、僕も成長できると気づいたから。
お互いにメリットあるのにお金は頂けませんよ。
でも、「どうしても払いたい!」って変わった人がいたら受け付けますよ。笑
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