人に『迷惑』をかけるやつこそが正義!? 気持ちが軽くなり深い人間関係が築けるようになる考え方

 

人に迷惑をかけたらダメだよ、と言われて育ってきたのでなるべく迷惑をかけないように気をつかってしまうんだよなあ。もっと遠慮しないで人と携わりたいけどどうすればいいのだろうか…


 

こういった疑問に対して対話しています。

 

  本記事の内容

  • 必要以上に人に気をつかってしまう
  • 迷惑をかけること=悪という認識がある
  • 心を許し合える深い人間関係を作れない

 

元ガリおーさん
こちらを出題した元ガリおーさんです。
今回の質問内容をパーソナリティ出演者としてLINEのチームと対話してみました。

 

読者さんへの前置きメッセージ

 

 

「迷惑をかけてもいいんだよ!」もしも、あなたの大切な人だったり尊敬する人からこんな風に言われたら、あなたはどう思うでしょうか?

僕自身「人に迷惑をかけたらいけません!」と言われて育ってきたので、誰かに迷惑をかけることには非常に抵抗があり、どうしても一歩引いてしまいます。

でも遠慮しながら人と関わっていては上辺だけの付き合いになり深い人間関係には発展しないですよね。

この記事を読む事で「迷惑をかけること」の本当の意味がわかり、なぜ迷惑をかけあうことがお互いにとって良い事なのかが明確になります。

より深い対人関係を築いていく為にもお役に立てる内容になってますので、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

それでは、さっそく見ていきましょう。

 

対話スタート

 

なまらポジティブ男
以前エデンさんにお話しいただいた罪悪感の話と重なるところがあるかもしれません。

迷惑かけたらダメだと思っちゃうけど、迷惑をかけないなんてことは不可能だし、相手も必ずどこかで自分に迷惑をかけている。(だから迷惑かけるな=人と関わるなっていうことになってしまう。)

お互いが迷惑をかけるという前提で人間関係を築いていくのがベストである、というのが罪悪感についてのお話しでした。

元ガリおーさん
確かに、よく考えたら一切迷惑をかけないなんて不可能ですね。

それは人間と関わることを放棄するのと一緒ということ!

「お互い迷惑かけることは前提」と思っておくのはだいぶ楽になりますね!

しょー
その行為や思考が、意図として迷惑をかけてやるというものと、その意図がなく想定外、つまり結果として迷惑がかかるものと、分けられるように思います。

そしてその軸とは別に、自分のワクワクすることをするか、周りの人を慮って自分の好きを後ろにまわすという軸も、別にある。

とすれば、この2軸で区切られる4つの領域の中の、「意図しない迷惑 かつ ワクワクすることを選択する」が、もっとも自分を生かし、自分の生きる村の仲間には喜ばれるということになるのでしょうか。

そして、意図しない迷惑は、本人のコントロールの外にあること。

だから、自分のワクワクすることに集中するということが、本人がコントロール出来る唯一のことであり、自分の住む村にもっとも効果的に貢献することになるのでしょう。

元ガリおーさん
なるほど!そういう考え方もあるのですね、ものすごく深い分析をありがとうございます!

意図した迷惑と自分がワクワクすることをやった結果、意図しない迷惑をかけてしまったでは意味合いが全く違いますもんね。自分が生きて仲間も喜んでくれるなら迷惑かけてなんぼって思えます!

他人はコントロールできないから、コントロールできる自分に集中する。ただ自分がワクワクすることをやっていく。

納得です!

しょー
この領域の対局は、「意図した迷惑 かつ 自分がワクワクしないこと選択する」ということ。ヒトラーでも凶悪殺人犯でも、ワクワクすることを選択していたに違いないから、この領域で生きている人はおそらくゼロ。

でも、そのすぐ隣の領域の「意図しない迷惑 かつ 自分のワクワクしないを選択する」に生きている人は、おそらくほとんどの日本人がそうな気がします。

でも、これそこ村に最大貢献する選択ではないので、悪。

善の道を選ぶなら、「意図しない迷惑をしている自分を認めた上で、ワクワクする道を選択する」しかない。

 

※4つの領域の分け方は、こんなイメージです。

 

なまらポジティブ男
迷惑に2種類あるという発想がなかったですし、ワクワクと好きを後ろにまわすという軸を加えることで、「最も自分を生かし自分の生きる村の仲間に喜ばれる選択」まで導いてるところが新鮮でしたし驚きでした。
ピーナッツ
すごすぎる!!分析すごい!なるほどです。
元ガリおーさん
思えば子供の頃に言われていた「人に迷惑をかけるな」というのも意図してその人が嫌がる様な精神的や肉体的に迷惑をかけるな、という意味だったのかもしれません。

自分が迷惑だなと感じるのはこういう時ですし、逆に先ほどしょうさんが言っていたその人がワクワクして生き生きしてる時にかかる迷惑は別に迷惑って感じていないな、と思いました。

「迷惑」という言葉を広く捉えすぎていたことに気付けました!

ピーナッツ
なんか僕の母は一人で暮らしていてまだ体もしっかりしてるのですが、たまに帰って母に対して迷惑かけたりしています。

なんか迷惑かけられるのも悪いことではない場合もあるのですかね?

嬉しい迷惑もあるのですかね?

なんか相手の自己重要感が高まる迷惑も。

しょー
と、ここでEDENさんの話をもう一度考えると、「バランス」の話を思い出しました。

理屈はこの領域に生きるのが善には間違いないけど、この領域で実際に生きるためには、迷惑を必要以上に気にして、ワクワクを必要以上に閉じ込める傾向にある僕らは、敢えて、「迷惑こそ善」をポリシーとする事で、ちょうどバランスが取れるんだよって、EDENさんは教えてくれている気がしました。

元ガリおーさん
自分は迷惑かけてると思ってても相手はそう思ってない、というパターンもありそうですよね!ピーナッツさんが言うように迷惑かけることでその人の自己重要感が満たされているかもしれません。
しょー
もう、この子はいくつになっても母ちゃんの手ば焼かるばっかりで、ほんま子供のまんまじゃわー!!

と、お母様がおっしゃってるやつは、無条件の愛ってやつっすよねー

迷惑をかけているというピーナッツさんの気持ちも無条件の愛だと思います。

そして、無条件の愛の中にいる限り、「迷惑をかけてごめんな」っていう、涙が出るほど優しい気持ちが生まれる。

こんな関係を、自分の村で作れるとするならば、最高です!

 

まとめ

 

今回の対話を通じて、迷惑をかけれないと思ってしまうのは「迷惑」という言葉自体を広く捉えすぎているのが要因になっていることがわかりました。

迷惑と言っても、色んな捉え方があります。

物理的に相手が嫌がることをしたり、罵倒して精神的に攻撃するのはもちろん迷惑行為なのでNGですが、そういった意図した迷惑ではなく『意図しない迷惑』であり、かつ自分のワクワクしたことをやった結果相手に迷惑がかかったならば、相手は迷惑とは感じにくく(感じたとしても)むしろお互いの事を深く理解できるいいきっかけになり得るのです。

そもそも人と関わっている以上、迷惑をかけないなんて事は不可能ですし、「誰にも迷惑かけたくない!」と言っているのは極端な事を言えば『誰とも関わりたくない!』と言っているのと同義ということになります。

「迷惑をかけたらダメだよ」と言われて育ってきた人にとっては迷惑をかけること=善くらいに捉えていた方が、遠慮しすぎることもなくちょうどいいバランスがとれるのではないかと思いました。

結論

・人と関わる以上迷惑をかけない事は不可能

・自分のワクワクすることをした結果、意図しない迷惑をかけるのは全然OK!

・迷惑=善くらいでちょうでいいバランスがとれる

 

今回の話を聞いて迷惑をかけることへの認識が変わり「意図しない迷惑ならかけてもいいんだなー」と少しでも気持ちが楽になってくれれば嬉しいです。

ワクワクすることをやっていきましょう!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

この記事を書いた人

なお
なお
周囲の視線を感じると赤面して変な汗をかいてしまうほどの自意識過剰男。骨吉とあだ名をつけられいじめられていた過去があるが、筋トレを継続してたらいつの間にか自分の事を好きになる。筋肉ムキムキより自分スキスキになれる様に生きていくのがモットー。

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